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東京高等裁判所 昭和52年(ラ)701号 決定

抗告人 関光汽船株式会社

代理人 岡田一三 外一名

相手方 株式会社丁造丸

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告人は、「原決定を取り消す。相手方の責任制限手続開始の申立を却下する。」との裁判を求め、その理由は、別紙理由書記載のとおりである。

一  船舶所有者責任制限の合憲性について

抗告人は、「船舶所有者等の責任の制限に関する法律」(以下単に「法」又は「本法」という。)全体が憲法二九条に違反するように主張するが、その主旨とするところは、本法中第二章の船舶所有者の責任制限に関する規定の違憲をいうにあるものと善解できないわけではないので、以下、右の趣旨に解釈し、その限度において、当裁判所の見解を示すこととする。

本法は、わが国が多数国間条約である一九五七年「海上航行船舶の所有者の責任の制限に関する国際条約」を批准し、それに伴う所要の国内法上の手当てをするために、昭和五〇年一二月制定・公布されたのであるが、この法律における船舶所有者の責任の制限は、特定の船舶による航行に関して生じた所定の損害に基づく債権について、それが契約上の債務不履行に基づくものであると、不法行為に基づくものであるとを問わず、船舶所有者が、各事故ごとに、自己の責任を一定の金額に制限することができるいわゆる総体的有限責任を認めたものである。そして、この制度の目的とするところは、船舶という巨大な運送用具を使用して危険性の大きい海上の運送を行なう海運業を保護せんとすることにあるのはいうまでもない。

ところで、いかに私企業における採算性や保険への責任転嫁の限界を著しく超える巨額な損害から海運業を保護するためとはいえ、船舶所有者の契約責任については、すでに各個の損害に対する最高損害賠償額を定める方法が認められている(国際海上物品運送法一三条参照)にもかかわらず、さらに、本法によつて船舶所有者の総体的有限責任を認め、また、不法行為責任についても、被害者の犠牲において問題の解決を図らんとすることは、まさに抗告人の指摘するごとく、その合理的必然性に乏しいといわざるを得ないであろう。

しかし、(一)船舶所有者の責任は、その契約責任(履行補助者過失責任)にしても、不法行為責任(被用者責任)にしても、もともと、船舶所有者本人の責任ではなく、しかも、改正商法六九〇条は、本法の施行に備えて、「船舶所有者ハ船長其他ノ船員ガ其職務ヲ行フニ当タリ故意又ハ過失ニ因リテ他人ニ加ヘタル損害ヲ賠償スル責ニ任ズ」と明記して、民法所定の使用者責任の原則を変更し、船舶所有者に或る程度の無過失責任を認めていること。(二)海運企業は、海上の運送機関として、低廉な運賃で大量の人員や物品を運送すべき公共性を有するものであるが、一面危険性が高く、わずかな過失によつても企業の存立を危殆に陥らしめるごとき巨大な損害を惹起する特質を有するものであるから、損害を保険で補填するにしても、保険料の運賃への転嫁にはおのずから限度があり、また、海運企業を維持し、その適正な運営と総合的な発展を図ることは、公共の福祉を増進するうえに欠くことができないものであること、(三)また、船舶所有者の責任制限の制度は、その方法、態様等において差異があるとしても、古くから各国により是認されたものであり、わが国においても本法制定前は商法に規定する委付の制度(船主は、原則として人的無限責任を負うが、特定の種類の債務に関しては、航海の終りにおける船舶、運賃等の海産を債権者に委付することによつて自己の責任を免かれる方法)が存在していたのであるから、国際的性格の強い海運業にあつて、わが国だけが船舶所有者責任制限の制度を廃止することは、事実上困難であり、仮りに廃止したとしても、船舶所有者は、一個の船舶ごとに会社を設立して責任制限の実を挙げるであろうことは、つとに識者によつて指摘されているところであること。(四)また、本法の規制内容についてみても、従来わが国の採用していた委付の制度には、委付の対象たる船舶の沈没、滅失等により債権の満足が得られなくなるという重大な欠陥があるのに対し、本法は、前叙のごとく、「海上航行船舶の所有者の責任の制限に関する国際条約」に従い、これを金額責任主義、すなわち、船舶所有者の責任を各事故ごとに定め、債権を発生させた船舶の積量トン数に一定の金額を乗じて得た額に制限するという簡明でかつ合理的な方法に改めるとともに、損害の発生が船舶所有者自身の故意又は過失によつて生じた場合とか、海難救助又は共同海損の分担に基づく債権や内航船による人の損害に基づく債権等を非制限債権とし、さらに、原子力損害や油濁損害に基づく債権に対しては、本法による責任の制限をなし得ないこととなつており、しかも、責任限度額についても、前記条約三条の規定を受け、わが国における過去の実績等をも勘案して定められたものであつて、不当に低額なものとは即断し難いこと、以上のような諸事情に鑑みれば、船舶所有者の責任を制限することは、債権者の財産権を侵害するものであるとはいえ、現在のところ、公共の福祉のためのやむを得ない制限であつて、憲法二九条に違反するものとはいい得ない。

二  法の解釈、適用の違法性について

次に、抗告人は、仮りに本法が違憲でないとしても、本件損害は船舶所有者である相手方自身の過失により生じたものであるから、法三条一項但書により、相手方の責任を制限することができないと主張する。

しかし、本件衝突事故が相手方所有船栄光丸の船長尾崎竹雄の抗告人主張のような過失によるものとしても、そのことだけで直ちに、同船長が適切な航行をなす判断力を欠くものであり、かつ、相手方がこのようなことを知り、又は過失によつて知らずして同人を船長に選任したものである等損害の発生そのものが相手方自身の過失によるものであることを認めがたく、他にこれを肯認するに足りる証拠はない。

以上のごとく、右抗告人の主張は、すべて採用できず、また、他に原決定を違法とする事由は認められない。

三  よつて、原決定は相当であつて、本件抗告は、理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 渡部吉隆 裁判官 渡辺忠之 裁判官 柳沢千昭)

抗告の理由

一 抗告の理由については、原裁判所に提出した準備書面(別紙)を援用するが、その要点は、第一に、船舶の所有者等の責任の制限に関する法律(以下、法とする。)は制限債権者の財産権を不当に侵害するもので違憲であること、第二に、相手方の本手続申立は、本法三条一項但書により却下せらるべきであるということであります。

準備書面(別紙)記載の理由

本件責任制限開始申立は次の理由で失当である。

一、船舶の所有者等の責任に関する法律(以下、単に本法とする。)は憲法二九条の財産権の保障に違反する疑いがある。

1(一) 周知の如く、憲法二九条一項の「財産権」とはすべての財産的権利をいい、その中には債権も含まれるとされている。(宮沢コンメンタール「日本国憲法」二七八頁)ところで、本法の実体法上の構造は特定の船舶の航行活動に関して、船舶所有者が民事責任を負担した場合、それが契約上の債務に基づくものであろうと不法行為に基づくものであろうと、それらを一括して自己の責任を制限しえる、いわゆる総体的有限責任の制度である。(江頭 ジユリスト 六〇六号七〇頁)

本法は、従来の商法六九〇条の「免責委付」制度の不合理な点-無価値となつた船舶でも委付すれば責任をすべて免れうるので、船舶が沈没した場合など責任がゼロとなることもある-を改正すべく、金額責任主義を採用したものである。

しかし、船舶所有者に対しての債権を制限して、すなわち、制限債権者の犠牲において、船舶所有者を利するという本法の構造は全く変わらないものである。

(二) そこで、制限債権者の側からみると、本来なら一〇〇パーセントの弁済を受けえる地位にありながら、本法の責任制限手続において、その債権の一部の権利行使を否定され(本法三三条)、その反面、船舶所有者等に免責を与えるというのは明らかに制限債権者の債権を侵害するのに他ならない。

確かに、財産権の内容は法律によつて定められうるものである(憲法二九条二項)から、船舶所有者等に対して債権を有する者は本来的に本法の範囲内でしか権利を有せず、そこに何らの財産権の侵害もありえないとする見方もあるかもしれないが、これは誤りである。

即ち、本法の手続での制限をうける債権は、船舶所有者等に対する不法行為に基づく損害賠償請求権(商法六九〇条、同七〇四乃至七〇六条等)、債務不履行、担保責任による損害賠償請求権(商法七五九条、同七三八条、国際海上物品運送法三乃至五条等)であるが、これらの権利は私法の発達と共に伝統的に認められてきたものであること、また本法もあくまで私法上伝統的に認められてきたこれらの権利を制限するという発想のもとに制定されたことは本法の名称、実体法の構造より明きらかであることからして、やはり財産権を侵害するという面を本法は有するのである。

2(一) そこで、では陸上の運送人に対する債権と比較して船舶所有者等に対する債権が何故に制限されるのかその制限については、十分な合理性が必要とされなくてはならなくなる。(憲法二九条二項)

そして、これは制限することの目的自体の合理性、および侵害態様としてその目的達成に最小限度のものかという二つの面からみなくてはならない。しかし、以下述べるように、本法はそのいずれにおいても十分な合理性を有しないといわざるをえないものである。即ち、本法の目的は巨額な運送用具である船舶による危険性の大きい海運業の保護にある。そして他の企業におけると異なり、一航海または一事故につき、それに基づく総債権者に対し有限責任制度を採る根拠として、(イ)古くから認められてきたという沿革的な理由、(ロ)船舶という巨額な運送用具を使用して危険性の大きい航海をしている海運業を保護する必要性に基づく理由、が掲げられている。(石井 海商法一五二頁)

確かに船主責任制限は沿革的には私企業における採算性や保険への責任転嫁の限界を著しく超える巨額な損害賠償責任を負わねばならぬ海上企業に対する配慮を出発点としてきたとされているが、それは早くから船主責任法をもつたイギリスの歴史をみれば明らかなように、自国の海運業者の国際的競争力を保護するための性質をもつものである。(落合 法学協会雑誌九二巻七号七四頁-それによると当時のイギリス海運業者はオランダなどヨーロツパ諸国と著しい競争を展開していたため、責任発生原因において著しく厳格化されていた使用者責任の緩和を求める船主責任制限法を求める請願を国会に提出したとある。)しかし、国際的競争力の増加という政策的な目的のため、憲法上認められる財産権を制限しえないことは後に述べるよう明らかであるばかりか、海上企業者がPI保険も含め責任保険制度の充実によりある程度の負担に耐えうる現在、本法のような総体的有限責任制が認められている原子力損害、航空機による不法行為責任(ローマ条約八条)のような特例を海上企業者に対し他の企業と別に認める必要性はもはや存しないといわざるをえないものである。

即ち、海上企業者の運送人としての契約責任についてみれば、商法、国際海上物品運送法によつて十分な保護をうけているものであり(商法五七六条、同五九五条、同七六六条、国際海上物品運送法一三条同三条二号-航海上の過失につき運送人の責任を否定する。)、更に、運送約款により合理的範囲で責任制限をなしえるものであり、これら個別的有限責任の他に、更に絶対的有限責任を与える必要性は認められない(石井「海商法」一五三頁)。

また、不法行為責任についても海上企業を保護するため、損害を被害者の犠牲によつてまで保護する必要性が認められないことは明らかである。

前記絶対的有限責任制度が認められる原子力損害については、その理由として、原子力事業者等に課せられる無過失責任と責任集中とであり、それら厳格絶対責任要件と引換に責任制限があると認めうるとされるが、船舶所有者等に果してこれを認めるほどの根拠があるかは疑問である。

改正前の委付制度は不合理なものであつたとされていたが、実際はその例も稀で被害者にとつて大きな制約とならなかつたものであるが、本法による責任制限の活用により被害者は極めて低い責任限度額以上のものを請求しえず、保険金の支払も責任限度額に限定されるという不都合な結果になるものである。また、海上企業者の保護というが、海上企業者が常に債務者となるものでなく、船舶衝突の場合は責任制限をうける制限債権者にもなる可能性があるのであり、そのときは責任制限額の範囲でしか債権の満足をはかれなくなるというように、むしろ当該海上企業者の犠牲により、他の海上企業者を保護するという自己矛盾を本法は含むものである。本来的には、「海上企業者の責任に関する制度としては、本制度を廃止すべき。」ということが多くの学者により指摘されている。(石井「海商法」一五四頁注(一)、谷川 商事法務五四六号二九頁)

以上によれば、本法の目的とする海上企業者の保護が制限債権者の債権を制限するに足る十分な合理性を有しないことは明らかである。

(二) 次に侵害態様の最少限性についてみる。憲法二九条二項の「公共の福祉」は自由国家的な面と社会国家的な面を有するとされ、(宮沢 コンメンタール「日本国憲法」二〇二頁、二七九頁)後者においては基本的人権の制約も前者より広く認められ、政策的な理由でもよいとされる。

本法において利害の衝突する者は船舶所有者等としての海上企業者と制限債権者としての企業者(荷主船主等)および不法行為債権者(人の生命、身体を害された本人、その遺族)である。

よつて、社会的強者と社会的弱者間の利益調整としての問題ではないから、社会国家的理念の「公共の福祉」は問題とならず-海上企業者保護によりそこの被用者の生活権に連なるが、それはあくまで間接的である。-公共の福祉による制約はやはり最少限のものでなければならなく、政策的な理由による制約は許されないことが憲法上要請される。

そこで本法をみると第一に本法は制限債権となりうる債権の範囲をあまりにも広く認めている。(本法三条)確かに本法三条一項但書、同二項、同四条において非制限債権を認めるが、なにをもつて非制限債権として扱うのか、その基準は全く不明瞭である。たとえば、内航船においては「運送されるため当該船舶上にある者の生命又は身体が害されることによる損害に基づく債権」を非制限債権とするが、(本法三条二項)その理由は、本法により国内法化された一九五七年船主責任制限条約による責任限度額、特に人の損害に対するそれが低すぎるという批判があつたため、条約批准の妨げとなるので、条約に抵触しない範囲で、-条約の規定上、人の損害に基づく債権すべてを非制限債権としえない-被害者保護を図つたというものである。(稲葉 法曹時報第二八巻第六号四二頁)

しかし、かように政策的基準によつて制限債権、非制限債権を振り分けえるのは、社会国家的公共の福祉による制約の場合のみであり、それ以外の場合はその権利に内在する性質のみが基準とならなくてはならないものである。しかし、制限債権者の有する債権自体に制約を基礎づける性質はなく、本法による制限は不合理な海上企業者の保護という政策的な制約にすぎないものであり、憲法上許されないものである。

第二に、本法においては制限債権者に配当される基金は船舶トン数によつて算出されるため(本法七条一項、二条七号)制限債権者の満足度は船舶所有者等の船舶トン数という偶然性に左右されるという不合理な結果が生ずる。

即ち、責任制限額を船舶のトン数を基準にするというのは、船舶に対する対物訴訟を認める英米法の影響と考えられるが、資力が十分にあり海上企業者として保護を必要としない場合でも、たまたま事故をおこした船舶が小規模であると厚く保護され、その逆に資力が乏しく、本法による保護を必要とする場合でも事故をおこした船舶が大規模であると保護が薄くなるものであり、本法はその目的を十分に達成しえないものである。

特に、本件の如く現在知れている制限債権者の債権総額金二一三、九三九、〇〇〇円に対し責任制限額はわずかほぼ三パーセントにすぎない金六、九〇〇、〇〇〇円というものであり、本件衝突でもし死亡者が出ていたら、その不当性は更に明らかになり、仮りに本法自体が合憲であるとしても、本件のような場合にも本法を適用するのは強度の財産権侵害を伴うものである以上、少なくとも適用違憲といわざるをえないものである。

(三) 本法のように債務者をして一定の限度でのみ責任を負わしめ、その余の部分を免責とする制度としては他に破産法の免責の制度が存する。(破産法第三編第一章)

即ち、これにより破産者はその破産手続による配当及び非免責債権を除いては、破産債権者に対する債務の全部について責任を免れるものである。(破産法三六六条ノ一二本文)

この場合も免責許可決定により破産債権者の債権が制限されるもので、財産権侵害の側面を有し、憲法二九条との関係が問題となるが、この点につき最高裁は合憲判断をなしている。(大法廷決定昭和三六年一二月一三日 民集一五巻一一号二八〇三頁)

しかし、その補足意見は次のように述べる。

「破産法の免責の制度は誠実なる破産者に経済的再起の余地を与え、以つて更生を得せしめるために存することは多数意見のいうとおりであるが、他面免責によつて債権者の債権の一部が切り捨てられ、その財産権が侵害されることも疑いないところである。

しかし、免責によつて侵害される債権は債務者が無資力であるから、少なくともその当時においては、実質的に価値の乏しいものであるということができるから、債権者の犠牲はさほど大きいものではない。右の如く破産者に更生の機会を与えることと、債権者に及ぼす犠牲の比較的僅少であることの双方の事情が衡平に勘案されて、始めてよく破産者免責制度の合理性が肯定できるものと思う。けだし、如何に誠実なる破産者の更生のためとはいえ、単にそれだけの理由で公共の福祉のためと称して、債務者のため債権者に多大の犠牲を払わしめても構わないというものではなく、結局両者の利益を衡平に考慮して、債権者に与える不利益がこの程度のものであれば、公共の福祉の上から、やむを得ない制度として容認すべきであると言えるからである。」

両制度はその目的を異にするから、単純に類推しえるものではない。しかし、債務者が無資力で債権が実質的に無価値な状態のときでさえ、他方の衝突利益との衡平を考慮しなければならないとする本論旨よりすれば、本法の責任制限が憲法に違反することは明らかである。

即ち、本法の場合は、債務者が無資力ではなく制限債権者の債権は実質的にも価値がある場合であり、破産の免責の場合よりはるかに財産権侵害の程度が強い場合である。他方、衝突利益は破産の免責の場合は破産者の人間に値いする生活を営む権利という切迫した利益であるのに対し、本法は先に述べたように、現在十分な合理性を認められない海上企業者の保護にあるから、その衡平を考慮すれば、その違憲性は明白である。

3 以上論した如く、本法の実体法の部分は憲法二九条に違反するものであるから、本件申立は棄却されるべきである。

(その他の理由は省略する。)

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